2015年7月4日土曜日

150704鉄道トーク:山梨孝夫氏




静岡県鉄道発祥の地沼津

平成27年7月4日(土)13時~14時

会場:沼津商連会館1階
蛇松線は明治20年3月17日に蒸気機関車が試運転された。


沼津鉄道事始め

「陸上げされた機関車は沼津機関庫で組立られ,明治20年(1887)3月17日松薪を燃料として蛇松線で試運転を施行した」

沼津では狩野川の河口から沼津に至る区間,延長2.7kmの資材運搬線(後の蛇松線)と狩野川の河口に長さ約23.8mの桟橋(明治26年10月撤去)を建設した。

駿河湾の江の浦まで海上輸送された資材は,ハシケによって河口付近の御料局用地に設けられた資材置き場にいったん陸揚げされ,順次蛇松線を経由して現地への配給が行われた。
これらのことを示す資料として,逓信公文書に蛇松線の営業を求めて,明治31年(1898)12月10日に地元岳陽運送株式会社社長,真野佐右衛門外11名から「蛇松よりの仮線路をして営業線として使用の充許あらんこと」を請願した文書がある。その中で「旧きに鉄道開始に当たり用材運輸の為め造設せられたる字蛇松より本線へ連絡を通ぜられたる鉄道の存在するあり」と述べ,さらにこの請願を受けた鉄道局側の上申文書には「仰蛇松線は沼津停車場より分岐し同町の南方を迂回し駿河湾を去る数町狩野川に接したる字蛇松に至り終る延長一哩(マイル)四十五鎖の線路なり本線路は専ら建築用として使用せられ」と述べている。この請願上申の結果,明治32年(1899)6月15日から蛇松線の貨物の運輸営業が開始されたが,これらの文書が沼津機関庫創設当時の状況を問接的にしめしている。
沼津に始めて登場した機関車は5号機関車である。5号機関車は我が国最初の機関車10両のうちの1両であり,明治4年(1971)年イギリス・アボンサイドエンジン社で製造された,軸配置1Bのタンク機関車である。
5号機関車は東海道の建設工事が開始されると,新橋工場で完全修理を受け海上輸送されてきた。陸上げされた機関車は沼津機関庫で組立られ,明治20年(1887)3月17日松薪を燃料として蛇松線で試運転を施行した。当時ようすを明治20年(1887)の「静岡大務新聞」は次のように伝えている。
2月16日鉄道工事沼津駅の部分の模様を聞くに1司所物揚場なる狩野川下流の蛇松河岸より城内町の北裏なる停車場までの仮線路及び同停車場より木瀬川筋の本線路は巳にレールを敷き終り木瀬川架橋工事最中なり(同川の工事は東海道の木瀬川橋より凡そ十余町の上流に位す)停車場の建築も去る十日頃より棟上に着手したるが三四軒の官宅は巳に落成し蓮光寺内に設置ありし鉄道事務所は同官宅へ引移されて事務を取扱ひ居る由又停車場へ通ずる一等往還は上土町通り警察署を取払ひ治安裁判所測候所等を右に郡役所旧中学校を左に見て旧城の土手及び堀を平均て一直線に為すとの事なるが同停車場の近傍の田畑を宅地になす見込にて売買を為す者あるが其値段は一坪壱円より壱円七八十銭なりという
2月18日 四五日前江の浦より沼津停車場へ機関車数両到着せしにつき今明日頃より鉄道用材の運搬を始むるとか又同停車場は問口十二間奥行四間にて前後へ葺きおろす見込みなりといふ 3月1日沼津停車場へ機関車数両取寄せられし由は前日の紙上に掲げしが昨今近村より見物人をなす程にて停車場最寄へ露店二三軒を張り飴菓子を売る者あり又同機関車にて用材を運搬するは両三日のうちなるべしとの事なり汽笛一声沼津市中一万の夢を覚ますは愉快なる次第なり
(沼津機関区百年史より)

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