2009年7月25日土曜日

静岡選挙区の攻防③


「静岡選挙区の攻防③」静岡3区
 無風急転緊迫の最前線

 袋井市役所近くで20日行われた事務所開き。閣僚や党要職を歴任した自民前職の柳沢伯夫氏は、「く」の字より深く腰を折って支持を訴えた。
 「わが党がどうなっても、私はお役に立てる。どうかお願い申し上げます」柳沢氏は時に顔を紅潮させ、声を張り上げた。地元党員は「別人のよう。隔世の感がする」と、昨秋に比べ格段に強まった逆風を実感した。「地元にはり付き、支援者回り。いま、一番必死に動いているのは、柳沢さん本人だろう」(自民県議)
 柳沢氏を8期国政に送り出してきた中東遠の強固な自民組織。だが、磐田市長選など4月のミニ統一地方選、今月の知事選と県議補選(掛川市)で、自民系候補は苦杯を喫した。党支部員は「合併で地方議員が減り、組織が弱体化した。党員の高齢化による運動量低下も否定できない」と分析する。
 小泉改革を推進し、前回は民主の落下傘候補を大差で退けた。今回は「後ろを走っていた相手の息遣いまで聞こえてきた」(陣営)ため、初めて公明党に推薦を依頼。周囲では「背水の陣」「がけっぷち」という声が現実味を帯びて飛び交う。
 一昨年9月、地元出身とはいえ「無名」からのスタートだった民主新人小山展弘氏は勢いづく。磐田市長選では、自民地区支部推薦の候補者を退け当選した渡部修氏を自主的に支援。バンザイの渦の中、祝辞を述べた小山氏は「当選者本人より高揚していた」と渡部氏周辺は振り返る。
 小山氏は全国各地の選挙で「民主勝利」が報じられるたび、党広報車を走らせている。「地元の民主候補、小山です」。1年近い解散先送りは、連合系労組などへの浸透に時間を与えた。市街地の保守層にも知名度は高まってきた。
 麻生太郎首相の"解散宣言"3日後の16日夜には、タイミング良く磐田市民文化会館で決起集会を開いた。8月2日の投開票を見越し、大票田に会場を押さえていた。「たった2年でここまで来るとは。勢いだけでなく、運も持ち合わせているようだ」と参加した支援者。
 小山氏は「民主は到底勝てないと言われてきた選挙区で勝たなければ政権交代はない。それが静岡3区。ここが総選挙の最前線」と力を込めた。長く無風が続いた3区。自民元大臣に民主新人が迫る政権選択の象徴的選挙区になった。
 選挙区の西の外れにあたる磐田市竜洋地区で23日、再編された中東遠地区商工会連絡協の初総会が開かれた。選挙区回りの密度を高めている柳沢氏は「人脈を生かし」、開会前にあいさつの時間を確保した。小山氏の選対本部長を務める三ツ谷金秋県議が磐田市商工会副会長として関係者席に座り、柳沢氏の"熱弁"に耳を傾けていた。じりじりとした神経戦が始まっていた。
(衆院選取材班)
(静新平成21年7月25日「09選ぶ夏 激動しずおか」)

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